繋いでく薔薇色の日々

戸塚祥太くんと中島健人くんが大好きなオタクの日常

超特急という非アイドルについて懐古させてください


ジャニヲタと言いながらこんな記事を書く事をお許し願いたい。書くことは少しためらったが、どうしてもわたしが追いかけていた頃の超特急について書き残しておきたかったので、この場を使って書いていこうと思う。


繰り返しになるが、わたしは数年前はスタダヲタであった。ちなみに追いかけていたのはEBiDANという集団である。大体のグループの現場に足を運んだことがあったが、その中でもDISH//と超特急という非アイドルグループを主に推していた。ジャニーズのように完全にアイドルというわけではなく、(この境界線が難しいのだが)超特急はどちらかというとアーティスト色が強くDISH//はバンド色が強いグループだとわたしは認識していた。


2012年の夏か秋頃にあるきっかけでDISH//超特急を知り、フリーライブに行くようになった。
一番最初に行ったのは2013年3月3日のダイバーシティ東京プラザでのフリーライブだ。この日にDISH//のメジャーデビューが決定した。超特急はドラマの主題歌に決定。しかし、この時メジャーデビューが決定したのはDISH//のみ。超特急のレーベルは未だにスターダストのままである。彼らはずっと2グループでやってきていて、ここで「差をつけられた」と感じたメンバーもいたと私は思っている。

この日、私が感じたのはDISH//のファンが明らかに多いということであった。
今でこそDrive on weekにメンバーの名前を叫ぶコールがあるが、その日はまだそんなコールなどなかった。
鮮明に覚えているのが(私の思い込みかもしれないけど)確か自己紹介のコールの時であっただろうか。その日たまたまDISH//のファンのほうが多かったのかもしれないが、コールの声が本当に小さくてコーイチくんが思わず苦笑いしたのだ。本当にそれが痛々しかった…。

当時はどちらかというと超特急は魅せるグループであったように思う。本当にコールが少なかった。


話は飛んで同年8月8日。8号車の日に行われたライブで彼らのターニングポイントとなるリーダー交代が発表された日である。
それまでは、5号車ドジっ子担当のユーキくんがリーダーを務めていた。ダンスが一番上手と言われていた事もあって、みんなを引っ張っていくのに適任だとされてリーダーを務めていたのだと私は勝手に解釈していた。それまでずっとリーダー=ユーキくんだったし、しっかりしていたし、普段は穏やかでもダンスの事となるととってもアツいものを持っていて(あくまでも私の知る範囲であるが、超特急の中での唯一の大喧嘩はカイくんとユーキくんが2人で争ったものだと記憶している。)、流石リーダー!って思う場面もたくさんあった。だからユーキくんからリョウガくんへのリーダー交代は本当に衝撃的だった。理由もはっきりしたものではなくて、正直この時は期待というよりも不安のほうが大きかった。
だが今考えると、この時期から超特急が飛躍していったように思う。
この決定はメンバーでよく話し合って決めたことで、(確か前日に話し合いをしたと言っていた)やっぱりグループにおいて話し合いをするということはグループを高めていくために最も重要な事だなあと身をもって体験した。

そして私が思うもう一つのターニングポイントは、ボーカル組が東京で一人暮らしを始めたことである。ブログを振り返っていただくと分かるように、コーイチくんは2013年の3月に卒業しその後東京で一人暮らしを始めた。あくまでも私の主観であるが、それまでは東京組と関西組で見えない壁があったように思う。増してや彼らは学生であり、平日は高校生としてそれぞれ生活を送っていたのだ。
今でこそ7人全員がそれぞれ仲良しだが、ブログを見ていただくとわかるように3,4年前はボーカル組とダンサーでの2ショットの写真などは本当に少なかった。


話は飛んで2014年4月4日にTDCHで行われた「BULLET TRAIN ONE MAN SHOW ikkiにホールで福おこしだ!!!!!i!! 」の追加公演に足を運んだ時に感じたことは、明らかにコールが増えていたということと、ファンが参加型にシフトチェンジしたということ。熱気が物凄かった。


今わたしはほとんどEBiDANからは離れているが、超特急が活躍しているところはTwitterやブログからわざわざ知るのではなく、テレビから知ることの方が多い。これは本当に4年前くらいには考えられなかったことである。彼らはこれからもっともっとパフォーマンスを向上させ、ファンをつけていくだろう。今後の超特急が非常に楽しみである。久々にライブ行きたいな…

ちなみにかなり記憶が曖昧な部分がある為、ご指摘等ありましたらお手数ですがコメントでご教授くださいませ。